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きになるひとものの仮置き小屋
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朝貴神明宮由緒書

 和歌山懸西牟婁郡潮岬村大字出雲字向地生五十八番地 村社 朝貴神社

 一 祭神 大己貴神

 一 由緒

大職冠鎌足男伊美麿二十五世孫兼倶長禄二年熊野三山参詣之途次於口熊野出雲浦蒙出雲國清地大社神霊夢則同大社勧請祭祀出雲浦朝貴神明宮是也                                                                                   
                                       長禄二年九月吉日

   (昭和57年8月30日午後0時35分、社伝原本を書写)

 藤原鎌足の息子である伊美麿(中臣伊美麿は一時鎌足の養子となっていた)から25代の子孫である吉田兼倶が、長禄二年熊野三山参詣の途中に、この出雲浦で出雲の国の清地大社(現須賀神社)の神霊を夢に見て、出雲浦にその神霊を勧請したものがこの朝貴神社である、と

 出雲清地大社(現須賀神社)の主祭神は、須佐之男命であるが、朝貴神社の祭神は大己貴神となっている

 しかし明治4辛未年七月、串本町役場蔵、江田組戸籍人口諸役給料社寺等明細表によると

 出雲浦 朝貴神明社 祭神 素盞男命、と記されている 

 平成七年発行の和歌山懸神社誌によると、

 社伝に長禄二(一四五八)年大職冠藤原鎌足公の嫡子伊美麿から二十五代の裔神祇大副卜部兼倶が熊野参詣のとき出雲国より勧請し創建という。ところが紀伊続風土記は「伊勢大神宮の摂社磯辺の神を祀るという」考えをとっている

 と、社伝とともに、文化三年(1806年)から編纂され始めた紀伊続風土記の説を併記している

 長禄二年に兼倶が、熊野三山を参詣したかどうかを知らないが、兼倶24歳のこの頃、官位が昇進している 
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